会期
2019年3月9日(土)〜3月17日(日) 12:00〜19:00 11日(月)休廊 最終日は18:00まで 入場無料
関連イベント:2019年3月9日(土)18:30〜19:30 (募集受付は2019年1月1日から開始!)
トークイベント 奥山淳志 × 野元大意(KOBE 819 GALLERY)
参加料1000円 事前予約必要
昨年私家版写真集『弁造 Benzo』を出版し、日本写真家協会賞・新人賞を受賞した奥山淳志。約10年前に「東北」という土地が内包する世界を見たいという思いで彼は今まで東北地方各地の祭礼行事を訪れている。そこで撮影を続けている中で見えてきた問題と彼にもたらされた疑問とは、、、
今回は、KOBE 819 GALLERYの野元大意とタッグを組み、新たなプロジェクトとして発表される注目の写真展「さようならのはじまり」の関連イベントとして、トークイベントを開催。今、日本の写真家で注目されている奥山淳志と今展を企画したKOBE 819 GALLERYの野元大意が新作について語りつくす夜!
イベントにご参加ご希望の方は、こちらまで。
会期中、展示作品も販売いたします。
■ステートメント
いまから10年ほど前、岩手の雫石に移住してから数年たった頃のことだ。
「東北」という土地が内包する世界を見たいという思いで、各地の祭礼行事を訪ねることになった。
その頃の僕は、東北の祭礼に興味を抱く多くの人たちと同じように、目の前で繰り広げられる祭礼の営みのなかに「まだ見ぬ遠い世界」や「憧れ」を見つけようとした。それはたとえば「縄文」であったり、「連綿と続く共同体の神話」であったりした。そして、そこには確かにその類の匂いもあり、それに触れることは甘美でもあった。もし、僕が東北で生きることを決心していなかったらならば、そこで見つけた「遠い世界」に身を委ね、心地良くシャッターを切ることができただろう。しかし、東北の同時代を生きる者として、見るべきことはもっと別なところにあるような気がした。
それは、いま、祭礼はどういうものなのかという現実的な問題だった。いうまでもなく多くの祭礼は形骸化している。遠い時代から信じられてきた大いなる物語は、すでに消えてしまっているのだ。簡単に言えば、祭礼は役目を終えた。そういう風に思えた。実際、行われなくなった祭礼も数多くあった。しかし、その一方で、何とか頭数を集めながら変わらぬかたちで祭礼を続ける人たちの姿も多くあった。そんな人たちの姿は、僕に根本的な疑問をもたらした。“物語を失った祭礼をなぜ続けるのだろうか?”その日から僕は、この問いの答えを探すべく、祭礼を訪ね歩いた。
そして、今、ひとつの仮説に近い答えをつかんだような気がしている。大いなる物語の代わりにこの地に暮らす人が探し出そうとしているものは、今の時代を生きる自分たちが、これからもこの土地で生きていくための新たな世界観ではないだろうか。彼らは、新たな糸をつむぐように、新しい世界観を仲間とともに見出し、物語を失い、空になった祭礼という器に満たそうとしているのではないだろうか。あたらしい糸。紡ぎ出されたその先を見続けていきたいと思っている。」
数年前、僕は長くカメラを向けてきた東北の祭礼をとった写真をまとめるべく、以上のような文章を書いた。
作品のタイトルは「あたらしい糸に」。祭礼から東北の現在と未来を見てみたいと思った。この作品は今も継続中だ。東北の今に生き、東北の中にいる者としての視座を持ちながらカメラを向けるというスタンスは変わっていない。もちろん、祭礼もそんなに簡単に変わっていくわけもなく、あたらしい糸を紡ぎだそうとする最中だと思う。しかし、現在の東北で行われている祭礼というものに近づけば近づくほど、かつて自分が記した「遠い時代から信じられてきた大いなる物語は、すでに消えてしまっているのだ。簡単に言えば、祭礼は役目を終えた」という感覚が濃厚になってきていることを感じる。
祭礼とは生きるための道具だと思う。かつて、祭礼を生み出した人々は生きるために必要な行為として祭礼を生み出した。そう考えると、今という時代、祭礼をやらねばならない必要性はどこに見出すべきなのだろうと考えてしまうのだ。そんなとき、僕の脳裏に浮かぶのは「終わり」という小さな言葉だ。祭りにはじまりがあったすれば、きっと終わりもあるはずだと。
僕は想像する。たとえば、ずっと続けてきた祭礼を終えるとしたら、当事者たちは何をするのだろうかと。行為を続けることが当たり前のものとしてある感覚に「終わり」という楔が打ち込まれた瞬間、人々は何を思うのだろうか。土地の今、過去、そして未来、すべての時間軸を眺め渡して、どのように「終わり」を受け止めていくのだろう。もしかしたら失うものの大きさに慄くのだろうか。それとも失うことで新たなものを生み出していく力を得るのだろうか。
でも、振り返ってみると、果たして「終わり」は祭礼だけに当てはまるものなのだろうか。僕たちは今、様々な出来事や行為のなかに「終わり」を探してはいないだろうか。まるで大波にさらわれるごとく大きく変わりゆく時代の中にいて、これまで携えてきたもの、続けてきた行為の役割が終わってしまっていることに実は気づいていないだろうか。そう、僕たちは「終わり」を凝視し、「終わらせかた」を見つけることでしか得ることができない「今」と「未来」があることをどこかで察知しつつ、逡巡している。そういう時代に立ちつくしてはいないだろうか。
きっと、僕はこの先の東北で、祭礼を終わらせようとする人に出会うに違いない。
きっと「終わらせ方」を見出すことは、いつか必ず来る死を深く意識することに似ていて困難な作業なのかもしれない。しかし、死を凝視することではじめて自身が眩い生の光のなかに立っていることに気づきはしないだろうか。
祭礼の終りはきっと、その土地の始まりでもあると信じている。
奥山淳志(写真家)
1972年7月11日 大阪生まれ。現在は岩手県雫石に在住。
京都外国語大学卒業。1995から1998年 東京で出版社に勤務。
その後、1998年、岩手県雫石に移住し、写真家として活動を開始。
以後、北東北の風土や文化を発表するほか、
近年は、人をテーマとしたフォトドキュメンタリー作品の制作と個展発表を積極的に行っている。
受賞歴
2018年『日本写真家協会賞・新人賞』受賞
2015年『第40回伊奈信男賞』受賞
2006年『フォトドキュメンタリーNIPPON 2006』(ガーディアン・ガーデン)選出
作品集
2018年『弁造Benzo』私家版写真集
著作
2012年『とうほく旅街道』河北新報出版センター
2011年『かなしみはちからに』朝日新聞出版
2004年『手のひらの仕事』岩手日報社刊
2003年『岩手旅街道』岩手日報社
個展
2018年「庭とエスキース」銀座ニコンサロン(東京)、大阪ニコンサロン(大阪)
2015年「あたらしい糸に」銀座ニコンサロン(東京)、大阪ニコンサロン(大阪)
2013年「水仙月の四日あるいは雪狼のあしあと」もりおか啄木賢治青春館(岩手)
2012年「彼の生活 Country Songsより」銀座ニコンサロン(東京)
「彼の生活 Country Songsより」大阪ニコンサロン(大阪)
2010年「Drawing 明日をつくる人 vol.2」トーテムポールフォトギャラリー(東京)
2008年「明日を作る人」新宿ニコンサロン(東京)
2006年「Country Songs ここで生きている」ガーディアンガーデン(東京)・ギャラリーヒラキン(岩手)
グループ展
2018年「TWO MOUNTAINS PHOTOGRAPHY PROJECT」(マレーシア.クアランプール)
2016年「あたらしい糸に」大邱フォトビエンナーレ2016(韓国・大邱)
2009年「今、そこにある旅(東京写真月間)」コニカミノルタフォトギャラリー(東京)